2011年7月30日土曜日

「待つ」というおしごと。役者とコスプレイヤー

僕の大好きなコトバにbeastie boysのMIKE Dが言った

「24時間超ーーがんばって作業しても
 一日のうちで"使える"のって5分ぐらいなんだよね」

っていうのがある。

なんのこっちゃー??かもしれないのでプチ解説してしまうと
音楽でも画を描くのでも文章を書くのでも
そして役者として役を演じるのでも
それらを「芸事」とひっくるめると
一般のお仕事とそうした芸事の最大の違いは

「降りてくる瞬間を待つ」

という工程が最後の最後に必要とされる事だと思いまっす!

とっちらかっちゃうので役者サンの作業に絞りますが
与えられた役についてリサーチする、セリフや動きを覚えるetc
一見そうした作業はその役に「なる」ための作業っぽいけど
実はそれらはその役が降りてくる瞬間を待つための
運よくその役が降りてきたとき上手にキャッチするための準備みたいなもので。
その降りてきたものによってはそれまでの作業をぜーーーーんぶ捨てなくては
ならないことも・・・・・でもその瞬間こそを待っていたわけだから
勇気を持って&楽しんでそれをキャッチする。

一見、役をキャラクターを演じるという部分で似てる感もありつつ
コスプレイヤーの方々のその役(キャラクター)に関する情報を
集めていって、イメージしているものとの精度をひたすら高めていく
事が正解っていう作業と役者の人の作業の決定的違いはこの最後の部分、
降りてこなかったらどんなに精度を高めてもアウトーー!!
ってとこにある。

冒頭のMIKE Dのコトバはそんな瞬間なんてそーーーんなにないし
ねらったってダメじゃん、ってことを言っているコトバで
芸事の奇跡待ちちっくな神頼み感???
でもそーーーゆう瞬間が入っているからこそ
その芸事には価値があるし
僕等の代わりにそんな瞬間をキャッチしてくれる
役者の方々を僕はほんとうに尊敬している。

そう、演劇っていう行為の語源をたどっていけば明らかなように
役を演じること、その役を手に入れることは
それだけでかなーーーり奇跡な「聖なる行為」なのだ。


僕がだーーーいすきな女優サンの旦那さんと呼ばれている
人のブログらしきものを見て僕がびっくりしたのは
この人、演じるってことの聖性にまったく気付いてない人だなーーということ。
降りてくる瞬間をまったく待ってないなぁーーということ。
この人にとって「役」とは自分を支えるものであり
仲間と楽しく過ごす空間を作ってくれるものであり
愛する妻を安心させるものらしい。トホホ・・・・・・(泣)

もちろん国を憂うことも、愛する妻を思うことも大切なことで
それにはまったく異存がないし、役者を辞めてそれに専念するというなら
僕はそれを応援したいとも思う。頑張ってもらいたいと思う
でも役者として役を手に入れるという事がそれらと同じくらい
人々を勇気づける聖なる行為だと気付けなかった事がひたすら悲しいのです・・・

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